だれにも原風景というのがあります。

わたしは日本海側の盆地で生まれ育ったので遠景に山が見えると安らぎを感じます。

 

名古屋へ行くと360度、視野に山が見えないので少し物足りない感じがします。

 

自分と縁がないはずの土地へ行って懐かしさを感じることもあります。

わたしは平野に育ちましたが 河岸段丘 崖 などの起伏に心ひかれます。

 

日本人としての集合原風景でしょうか。

 

縄文時代 山野を駆け巡っていた頃 まだ平野にはなじんでいなかった頃

土地の起伏のなかに人生が織り込まれていたのでしょう。

 

原風景には遠景だけでなく 中景 近景があります。

中景―祖父母の家に咲いていたツツジの花 小学生だった時通学路脇でみていたレンゲ畑。

近景―大事にしていた玩具 父がいつも座っていた椅子 壁にかかっていた掛け軸。

原風景からの出発―*山のあなたの空遠く幸い住むと人のいふ*

  あの見慣れた山の向こうにどんな世界や生活の営みがあるんだろう。

  多くのひとは原風景に別れを告げます。

  原風景は安住するところではありません。回遊魚も渡り鳥もこの世での使命を

  果たすために旅に出ます。人間もそうです。

原風景への回帰―*志を果たしていつの日にか帰らん*

  回遊魚も渡り鳥も人も最後には帰ってきます。笑顔で帰ってくる人 疲れ果てて 

  帰ってくる人。 平等に迎えてくれるのも原風景です。

  原風景 原点に返る リセットする これは癒しであり自分を充電することでもあります。

  演歌なども日本人の「原風景回帰力」に役立っていると思います。

 

西洋の豪華な宮殿ではなく 生活の知恵が詰まった里山に

盛大に噴き上げる西洋式噴水ではなく 小鮒釣りし小川のせせらぎに

日本人のやすらぎとパワーの源があるように思います。