ある日車のエンジンが不調になりました。アクセルと動きが連動しない。

簡易点検では、ギアボックスの劣化で仕方がないとのこと。

だましだまし使っていくしかない、と思って苦労して乗り回していました。

おまけにリモコンキーを運転席と助手席の間に落として、拾えなくなりました。

当面リモコンなし。

いつ車がへたるか、わからないので後続車がかなり途切れた時でないと

発進できません。エンストした時に備えて非常標識も備えました。

 

車が動いてくれるだけで感謝という感じで余計なことが念頭に浮かびませんでした。

余計なこととは、前の車が遅いから追い抜こうとか、後続車が空いたわずかな

隙間に無理やり発進しようとかーーー

 

結局、徹底的に調べてもらったところエンジンの空気混合バルブが破損

していたことがわかりました。

人間で言えば心臓弁膜症ですね。

名古屋から部品を取り寄せて無事に元の状態に復帰しました。

ハンディーを背負うことの意味を再認識させられました。

普通のことが普通に実現されることのありがたさ。

祈るような気持ちが、無理な運転をしようという気持ちを消滅させてくれたこと。

 

人生では祈るような気持ちで過ごした局面が一度ならず、あったはずですが忘れています。

忙しいご時世なので、ふだんは唯物論的に生きてしまっています。

しかし、アゲンストになった時、

祈り心や謙虚さを時々思いだして、人生のどこかにビルトインしておきたいと思います。

宗教や哲学とまで言わなくても、

生活実感として、謙虚さがかけらもない状態、何にも感謝ができない状態はたいへん危険な状態であると思います。

危険なだけではなく、何か人生の推進力が損なわれるように感じられます。

 

窮地に陥ることがほとんどないラッキーな人もいらっしゃるでしょう。

そういう場合はハリウッド映画で疑似窮地体験をするといいと思います。

ハリウッド映画は主人公が生死の境まで行って、どんでん返しで窮地を脱する

というパターンが定番です。

回復可能な窮地は人生を豊かにしてくれるように思います。